【新府城】武田家最期の城は最高技術を用いた巨大な城だった!なぜ勝頼は未完成の城を焼き払ったのか?
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 Published On Jan 7, 2023

2年ほど前に訪れ紹介動画を作成しましたが、どうしても気になって再び訪れてしまいました。
山梨県韮崎市。ここは甲府から西にしばらく離れた小さな町で、ちょっと郊外に出れば田んぼが広がるとても静かなところです。
この町で目立つのは七里岩と呼ばれる巨大な崖。このようなゴツゴツの岩による地形がずっと続いているんですね。七里岩は昔富士山より高かった八ヶ岳の頂上が噴火によって吹き飛び、その土砂を川の流れが削ってできたと言われています。なかなか他では見られない地形ではないのでしょうか。戦国時代の終わりごろ、この川に挟まれた細長い台地の上に巨大な城が造られました。その名を新府城と言います。その名の通り、甲斐の新しい中心となるべくこの城は、戦国最強と呼ばれた武田家の最後の当主勝頼によって、最高の技術を用いて築かれました。しかしその力は発揮されることなく、未完成のまま勝頼の手によって焼き払われてしまいます。新府城が地上に姿を見せていたのはわずか68日。まさに幻の城なのです。
なぜ武田家最大の城、新府城は、完成を待つことなく焼き払われてしまったのでしょうか。また、その後武田勝頼の運命はどのようになったのでしょうか。今回は幻の新府城と武田勝頼のその後を追ってみます。

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