【恋歌の名手と言われた三十六歌仙・伊勢の歌を読む】
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 Published On Aug 12, 2022

今回は三十六歌仙の一人で、『古今和歌集』の代表的女流歌人、伊勢をご紹介します。

百人一首(19番)に
難波(なには)潟 みじかき芦の ふしの間も
逢はでこの世を 過ぐしてよとや
の歌があります。

★伊勢のプロフィール
伊勢は平安時代前期の女流歌人で、藤原継蔭(つぐかげ)の娘です。父親の継蔭(つぐかげ)が、伊勢守だったことから、伊勢と呼ばれるようになりました。
宮廷に上がるきっかけは、藤原温子(おんし)が宇多天皇に入内(じゅだい)する際に、温子に仕えたことからです。その後、温子の異母弟である藤原仲平(なかひら)と恋愛関係になりますが、身分違いの恋で苦しむことになり、ついには捨てられて破局します。
失恋し傷心の身となった伊勢は、父が赴任していた大和の国にいったん里下がりします。ですが才能をかわれて、再度中宮温子に仕えます。宮廷では仲平の兄である藤原時平など数名と噂があったようですが、結ばれることはありませんでした。
しかしその後、宇多天皇に見初められ寵愛を受け伊勢御息所(みやすどころ)となり皇子を生みます(夭逝)。
延喜五年に『古今和歌集』が成立すると、伊勢は小野小町らを抑えて筆頭歌人としてその名声はゆるぎないものとなりました。
ところが、宇多天皇が譲位・出家し、その立場は急激に変化していきます。
さらに温子や、宇多上皇との間に生まれた皇子も5歳で亡くなるという不幸が重なります。
その後は宇多天皇の皇子・敦慶(あつよし)親王に求愛され、女流歌人の中務(なかつかさ)を生んでいます。
晩年は和歌を詠みながら、娘の中務と静かな時を過ごしました。
伊勢は宮中を中心に身分の高い男性とさまざまな恋愛関係を持ちつつ、一方では歌人として卓越した作品を多く残しました。特に情熱的な恋歌で知られています。
#伊勢#百人一首#古今和歌集

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