カルカッソンヌを見ずに死ぬなかれ!|南仏で必見の観光地|城壁散歩|フランス政府公認ガイドikkoと町歩き
いこいこikko いこいこikko
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 Published On Mar 6, 2024

こんにちは 
久しぶりの動画です。お元気ですか?
今回はラングドック地方の観光地カルカッソンヌの町歩き(特に城壁歩き)です。ワインの産地でもあり何度も訪れている地方です。
カルカッソンヌのシテはヨーロッパでも有数の中世の城塞都市で、もちろん修復による手直しを経てはいますが、長い城壁が美しく残っているところです。もともとの城壁(一部)は古代ローマの時代からというのですから驚きですよね!
888年にカロリング帝国終焉、その後、地元領主が台頭し、1067年にカルカッソンヌの領地はアルビとニームの子爵トランカヴェルの所有となります。この一家によりコンタル城(1130年頃~)やサン・ナゼールとサン・セルスの大聖堂(1096年~)などが建てられ、城壁が造られます。
しかしこの南仏で起こったキリスト教の異端とされたカタリ派を撲滅するためにフランス王家の支援を受けた「アルビジョア十字軍」により、カルカッソンヌは包囲され、1209年8月15日に陥落します。カタリズムというのはアルビ、ヴァルダラン、トゥールーズ、カルカッソンヌの4つの教会が中心となったキリスト教運動で、キリストの理想を尊重していないとローマ教会を非難したのです。そのためにローマ教皇インノケンティウスが異端教の信者を撲滅するために十字軍を開始しました。
1226年、カルカッソンヌはフランス王領になり、アルビジョワ十字軍は1229年に終了します。

ところで、かつてはスペイン(アラゴン)との国境が近く(1659年のピレネー条約により国境が南に移動しました)、ここは重要な防衛地点でもありました。しかし国境が変わったために、シテは防衛の役割から放免され、おかげで城壁は完璧に近い姿で残っていったのです。
時は進み、1840年、カルカッソンヌの歴史家で考古学者のジャン-ピエール・クロ-メイレヴェイユ(動画内で私は名前をちゃんと言えていません!)が大聖堂を歴史的建造物として認定、シテの復興に務めます。そして著名な建築家ヴィオレ・ル・デュークも尽力し、教会は再建されたのです。ちなみに1997年からカルカッソンヌのシテはユネスコの世界遺産に登録されています。

現在、カルカッソンヌは南仏の一大観光地になっています。町中のお散歩、城壁のお散歩は楽しく、想像力を掻き立てられます。どうぞ一度、この「カルカッソンヌを見ずに死ぬなかれ」といわれたほどの町、中世にタイムスリップしたかのような要塞都市シテを訪れてみてください☆

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