【高遠城】甲斐を守る仁科盛信の戦い 空堀に囲まれた天下第一「高遠桜」の城址公園
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 Published On Feb 22, 2021

武田勝頼は高遠城で約8年間過ごしました。1567年には、この城で正室との間に嫡男・信勝が誕生します。勝頼の正室は、織田信長の養女遠山氏の娘(龍勝院)ですが、信勝を生んだ後亡くなってしまったようです。
この後武田家に何ごとも起こらなければ、勝頼は高遠の諏訪家として伊那や諏訪地方を治めたのかもしれません。勝頼にとって高遠城での生活は、比較的平穏な日々だったのではないでしょうか。織田徳川軍が伊那方面から攻め上がってきたとき、高遠城は武田領国を守る重要拠点になります。確実に攻撃を受けるこの城の守りを託すのは、父信玄の血を受け継いだ弟盛信しかいないと思ったのかもしれません。

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