Published On Oct 8, 2023
宮古島首長(根間の主):宮古島民謡
ソ連国の民俗学者が宮古島の民謡を調査し貴重な歴史的資料を記録
宮古島言語での古謡が生かされている。島口文化を大切に繫ぎましょうぞ!
どうして宮古か? 優れた愛情の詩だからか?
根間の主:宮古島民謡(古謡) 文献先=唄の島宮古のネスキー(著者:田中水絵)
2022年10月20日初版第一刷より 歌詞収録の部 (miyako宮古島民謡)
根間の主 (元歌)
Ⅰ番:ヤイサユ 根間ぬ主がよ 乗ら御船 ヒヤルガヒ 主ぬ前が 乗ら御船 嘉例吉ほい
ヒヤルガヒ 愛小(カナガマ)ヤウドウ 己染前ヤウドウ 世ヤ直レ
2番:ヤイサユ 船小どうよ やりゃまい ヒヤルガヒ
小船(ミスガマ)どう やりゃまい 嘉例吉ほい ヒヤルガヒ
愛小(カナガマ)やうどう 己染前(ドウヌスミャ)ヤウドウ 世ヤ直レ
3番:ヤイサユ 出(イデイ)が数よ 春立(パルダチ)ヒヤルガヒ 乗(ノウイス)が
数ヨ 先立(サキダツ)嘉例吉ほい ヒヤルガヒ
愛小(カナガマ)やうどう 己染前(ドウヌスミャ)ヤウドウ 世ヤ直レ
4番:ヤイサユ 池間岬ヨ 廻んなよ ヒヤルガヒ 離り岬ヨ 廻んなよ 嘉例吉ホイ
(カリヨシ)
ヒヤルガヒ カナガマヤウドウ 己染前ヤウドウ 世ヤ直レ
(ドヌスミャ)
5番:ヤイサユ 扇取りヨ 招きヨ ヒヤルガヒ 要取ヨ 招きゅサ 嘉例吉ホイ
(カリヨシ)
ヒヤルガヒ カナガマヤウドウ 己染前ヤウドウ 世ヤ直レ
(ドヌスミャ)
6番:ヤイサユ 大海渡(ウプドウ)ヨ 行場合んなヨ ヒヤルガヒ
(イキスバーン)
海中(トナカ)よ 走す(ピャース)場合んなヨ 嘉例吉ホイ
(バーンナ)
ヒヤルガヒ カナガマヤウドウ 己染前ヤウドウ 世ヤ直レ
(ドヌスミャ)
7番:ヤイサユ 雨小ぬヨ 降(フイス)場合んな ヒヤルガヒ
風小ぬヨ 押す場合んなヨ 嘉例吉ホイ
(カリヨシ)
ヒヤルガヒ カナガマヤウドウ 己染前ヤウドウ 世ヤ直レ
(ドウヌスミャ)
8番: ヤイサユ うりゅう雨と 思うなヨ ヒヤルガヒ
うりゅう風と 思なヨ 嘉例吉ホイ
ヒヤルガヒ 愛小(カナガマ)ヤウドウ 己染前ヤウドウ 世ヤ直レ
(ドウヌスミャ)
9番:ヤイサユ 我涙(バガンナダ)とて 思いよ ヒヤルガヒ
ミガ(目娥)小ぬヨ 大気(ウプキイス)と 思いヨ 嘉例吉ホイ ヒヤルガヒ
愛小(カナガマ)ヤウドウ 己染前 ヤウドウ 世ヤ直レ
小雨は 目娥(メガ)の志情が染み出た涙だだよ!涼風は 目娥の心底の愛の囁き
だよ! 我が肝情き風や 根間主向き注ぐよ!察し呉るよ愛妻を!
宮古女の恋の唄でしょう?
根間の主とは 目黒盛と豊見親のことで、古代の流球国(宮古島)の統治者王族であろう 文献先:宮古史伝(著者:慶世村恒任)関連動画 下記へ 視聴ください。
• 目黒盛豊見親の島鎮あやぐ :作詞:慶世村恒任。{作曲者:唄三線:木村盛易}...
Gtp-4チャット解説文:以下へ 参照してください miyakoメモ
※このページの概要は以下の通りです:宮古島首長(根間の主):この動画は、宮古島の民謡を歌う宮古島首長(根間の主)という人物のパフォーマンスを紹介しています。宮古島首長は、ソ連国の民俗学者によって記録された貴重な歴史的資料の一部であり、宮古島の文化や伝統を伝えています。
ソ連国の民俗学者:この動画の説明文によると、ソ連国の民俗学者は、宮古島の民謡を調査し、その音楽や歌詞、ダンスなどを詳細に記録したということです。この記録は、宮古島の民謡の研究や保存にとって重要な資源となっています。
宮古島の民謡:宮古島の民謡は、宮古島の歴史や生活、風土、信仰などを反映した歌や音楽の総称です。宮古島の民謡は、三線や太鼓などの楽器を伴奏にして歌われます。宮古島の民謡には、祭りや儀式、恋愛や結婚、農作業や漁業などのさまざまなテーマがあります。宮古島の民謡は、日本の無形文化財に指定されています。
宮古島の民謡は、日本の沖縄県宮古列島で古くから歌い継がれている民謡で、日本の無形文化財に指定されています1. 宮古民謡は、神歌、古謡、民謡に大別されます。神歌は主に地元の言葉で「カニスマ」と呼ばれる楽器を用いないアカペラで歌われ、古謡、民謡は代々「カニスマ」で歌われてきたが、20世紀に入ってピアノやオルガンで伴奏がつけられ、20世紀中ごろに沖縄の伝統楽器三線の伴奏が付けられました1.
代表的な歌には、「とうがにあやぐ」、「なりやまあやぐ」、「漲水のクイチャー」などがあります1. 歌詞は琉球民謡の八・八・八・六の琉歌形式を用いず比較的自由に歌詞をあてはめ、叙情的な曲調が多いです1.
宮古民謡の起源は各地域の御嶽や神社、島の聖地と呼ばれる場所などで行われる神事や祭事を司る際に、神に捧げる祈りの言葉が抑揚を付けて祈られていたことから始まり、やがてその祈りが次第にメロディックな要素を持ち始め、いつしか神と人間とが繋がり、神に捧げ、願う為の神歌と呼ばれるようになっていったそうです1.