遊里/海界の村を歩く 東シナ海 池島Ⅱ(長崎県)
集落町並みWalker /Walk around Japan 集落町並みWalker /Walk around Japan
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 Published On Jul 12, 2015

池島は、西彼杵半島の旧外海町四方海上役7kmに位置する。九州で最後まで操業を続けていた炭鉱の島である。標高115mの四方山が最高点、大部分が標高約80mの台地で、港周辺の低平地と従来からの集落とともに生活の場となっている。かつては、半農半漁の島で、多くは船員として出稼ぎの生活が営まれていた。1952年に松島炭鉱が開発に着手し、1959年に操業開始して以来、良質の原料炭を産出し、2001年に閉山するまで42年間操業を続けた。現在の池島港は、開発前においては自然の砂州に囲まれた「鏡池」と呼ばれる池だったところで、島の名もこれに由来する。炭鉱開発の際に砂州の一部が爆破により崩され海とつなげられた。
2015年5月、閉山して14年が過ぎた島を訪問した。炭鉱町として開発された街の方に興奮し、それ以前から存在していた在来の集落を歩かなかった。一般に、工場ができるとその門前に工場で働く人たちを相手にした商店街や遊里(こういうのを私は工場門前町と呼んでいる)が形成されることを私は長い探訪経験から知っている。池島から戻って調べてみたら、案の定在来の集落との間に色町の画像が。。。そして、一ヶ月後再び訪れた。
かつての漁港は埋め立てられ、漁港から台地上の耕地に上る斜面に集落が形成されている。現在の港(旧鏡池)と集落との間に商店が、そして集落と台地上の炭鉱町との間に遊里が形成されていた。農漁業を営んでいた島民は、全て炭鉱関係の仕事へと鞍替えしたことであろう。今、池島は、炭鉱の閉鎖と共に生業を失っている。もし、炭鉱が開発されていなければ、それまでの農漁業を続けていたのかもしれない。栄枯盛衰。皮肉な歴史の生んだ集落である。

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