宇川をさかのぼる(京丹後市丹後町・府道654号線)下流→中流
Kiichi Saito Kiichi Saito
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 Published On Dec 12, 2013

宇川河口の平から中流域の野間まで府道654号をさかのぼる。宇川は延長17.9km、流域面積54.2㎢の2級河川。上流部では第三紀層の高原地帯を流れ幼年期の谷地形を呈し太鼓山南方の鉄谷などは急峻で深い淵を形成する。中流部は花崗岩山地で谷幅も広がり、耕地や集落がわずかながら発達する。今行く下流部は第三紀の安山岩地帯を嵌入蛇行して流れ峡谷をなす。鞍内から奥の下流域峡谷には、小脇、三山、竹久僧、乗田原、碇開拓、神主、大石の集落があったが、すべて廃村となっている。中流から上流域では、川久保、大石畑、住山、熊谷、平家、茶園、尾崎、鉄谷(黒川)、出合、三舟、小杉などの村々が廃村となっている。「経済成長」期に廃村になっていて、この政策の負の部分が集中する地域で、一将功なって万民枯るが暴走する日本の明日を先取りしたような地域であろうか。今では道も怪しく廃家も崩れ去り、どこがそれなのか見つけ出すにも大変だが忘れてはならないところである。宇川は竹野川と違って上・中・下流を通して河床が礫であるため水が清澄で渓流魚の成育に適している。とくに鮎は有名で、かつては百万匹も遡上したという。河口の平では古くから鮎漁が行われた。漁法はもっぱら手で押え漁獲していた、手のひらで押さえられるくらい、足で踏みつけられるほど、おもちゃのあみでもあれば、なんぼでもすくえる鮎だらけだったが、享保頃から投網を用いるようになったと伝えている。手つかずの流れは「丹後最後の清流」と地元では自慢する。縄文人たちもこれを捕って生活していたものか。
HP「宇川」→http://www.geocities.jp/k_saito_site/...

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