漢那諒くん(小学校2年生)民話暗誦「通り池の人魚の話」/ Ryo KANNA Recites Folklore "The Mermaid and Tōri-ike"
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 Published On Jul 24, 2021

当時小学校2年生だった漢那諒くんが、下地島にある「通り池」伝説ともいわれる民話を伊良部島の佐良浜ことば(さらはまふつ)で発表する動画。

撮影 /
2020年11月2日、小学校の先生により撮影
(ご家族と学校の協力を得て、本ウェブサイトにあげさせていただいた。)

翻訳について / About the Translations
1) 宮古語の池間語系佐良浜方言 - 前泊清先生(元佐良浜小学校校長)
Sarahama Dialect of Ikema Variety, Miyakoan - Kiyoshi MAEDOMARI (Former Headmaster of Sarahama Elementary School)

2) 英語訳 - アンジェヴァイン・信濃(社会文化分析修士)
English Translation: Shinano E. T. ANGEVINE (Social and Cultural Analysis M.A.)

3) 日本語訳 - さどやませいこ『宮古島の民話百選(上)』かたりべ出版, 28-29頁。
Japanese Translation - Sadoyama, S. "Miyakojima no Minwa Hyakusen, Vol. 1", Kataribe Shuppan, pp. 28-29.

 諒くんは小学校1年生の時に、宮古島市と宮古島市教育委員会の主催による第14回宮古島市民総合文化祭児童・生徒の部の「郷土のお話大会」で「通り池の人魚の話」を佐良浜口(さらはまふつ=宮古島市伊良部島の佐良浜地区で話される方言)で発表し、市長賞に輝いた。自分の家族、お兄ちゃんがイベントでさらはまふつで話したことに触発され、現役漁師でもあるおじいさんから教えてもらい、毎日3回は練習してこの発表に臨んだ。
 この「通り池」の話は、1970年代までは伊良部島や宮古島のそれぞれの家庭の中で宮古語の方が得意なおばあさんやおじいさんが孫に話してきた民話である。「通り池」は、伊良部島に隣接している下地島の「よなたま(日本語では人魚)」伝説ともいわれ、漁師が人魚を捕まえた後に、大きな津波が下地島を襲ったために通り池ができたという民話である。ここには、1771年に実際にあった明和の大津波が語り伝えられている。一説によると、明和の大津波では、伊良部島と下地島を含む宮古諸島全体で2,461人の死者を出したといわれ、その恐ろしさをよなたま伝説として語り継いできたともいえる。
 宮古島市と教育委員会がこのように「新しい言語話者」を育てる機会を主催し、次世代を担う小学生が宮古語で発表ができるように、家族と学校、地域が「育てる」努力、こうした地道で日常に即した生活の中での環境作りと働きかけが今後のことばの行方(言語の再活性化)に大きく関わってくるといえよう。
(文責:藤田ラウンド幸世 国際基督教大学)

参考資料:
伊良部村史編纂委員会編(1978)『伊良部村史』伊良部村(沖縄県):伊良部村役場
「郷土お話大会漢那諒君が市長賞」, 『宮古新報』, 2019年12月1日, http://miyakoshinpo.com/news.cgi?no=2...
「市長賞に漢那君(伊良部島小1年)/市民総合文化祭」, 『宮古毎日新聞』, 2019年12月1日, http://www.miyakomainichi.com/2019/12...

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