2023年多良間島八月踊り Tarama Island, Hachigatsu Odori 2: 塩川女踊り(貫花ぬちばな)Shiokawa Onna Odori (Nuchibana)*
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 Published On Mar 12, 2024

2023年9月24日塩川別れ(第三日目)「八月踊り(豊年祭)」の女踊りから、「貫花(ぬ知花)」
踊り:糸洲陽南乃さん(白い花)、諸見里美柚さん(赤い花)
撮影・録音・編集: 服部かつゆき
撮影・録音:森澤圭
企画・監修: 藤田ラウンド幸世
2024©藤田ラウンド幸世・服部かつゆき 

 多良間島は、宮古島から飛行機で20分ほど行った離島の一つの島です。地理的には、宮古諸島のグループに位置付けられますが、実際には宮古島と石垣島のほぼ中間に位置しています。2005年に六つの島(宮古島、大神島、池間島、伊良部島、下地島、来間島)が統合されて一つの宮古島市となりましたが、多良間島はそこには入らず、現在も多良間島と水納島からなる「多良間村」として、自治レベルでは独立しています。

 多良間島の言語は、言語学的に「宮古語多良間方言」と位置づけられていますが、一方で、八重山語と共通する言語的特徴も多く見られます。琉球諸語においてこのような言語は他には見当たらず、その独自性から、多良間口(たらまふつ)は、多良間島の固有の話しことばであるということもできるでしょう。これは、多良間島の文化を見ても、宮古島だけではなく、これまでの歴史的な背景から、石垣島や沖縄島などの影響も色濃く反映されていることと共通しているかもしれません。

 その影響を受けている一つの例は、多良間島で脈々と継がれてきた豊年祭の「八月踊り」です。東京多良間島郷友会の冊子(多良間まつり実行委員会(2023)『東京多良間郷友会創立90周年記念「多良間まつり」』)の解説によると、「旧暦の八月に三日間、歌舞音曲が繰り広げられる」とあり、琉球王国から南琉球に課せられた人頭税の、納税を終えた感謝と次年度の豊作を願うための行事であることが書かれています。八月踊りの起源は不明ですが、明治以降、それまでの島で創作された民俗踊りに加えて、琉球王朝の文化である古典舞踊や歌、踊り、セリフからなる組踊までが組み入れられ、その結果、朝から晩まで「27演目」を三日連続で9時間の長丁場で演じる形ができました。特筆すべきところは、八月踊りに、琉球王朝の「組踊」が組み込まれ、その組踊は全てうちなーぐち(沖縄語)で演じられることでしょうか。

 現在の多良間島の人口は約1,000人ですが、八月踊りは、文字通り三日間、一日目は、この島の二つの集落の「仲筋」が総出で演じ、二日目はもう一つの集落の「塩川」、三日目は、二つの集落がもう一度、それぞれの集落で演じるという、多良間島の全島民が参加をしてきた豊年祭です。島外から赴任している小学校や中学校の教員たちが参加をする演目もあります。私たち(藤田ラウンド幸世、服部かつゆき、森澤圭)は、2023年の八月踊りを過酷な暑さの中で三日間撮影しました。二人のカメラマンは全てを黙々と撮影、記録し、研究者の私はそれぞれの演目を見て全体を把握し、三日目にはそれぞれの舞台裏でインタビューをし、演者の方々に聞き取りをしました。

 初めて八月踊りを見た私の感想は、2023年はコロナ以後、4年ぶりの開催であったことも含めて、熱量と緊張の高い八月踊りになっていると思いました。しかしながら、一番の見どころはやはり、集落の、つまり素人の人たちが自分たちで練習を重ねて演じるところだと思いました。生まれた時から聞いている音楽や毎年見ている八月踊りは、島で育つ子どもたちにとっては憧れの舞台であり、年齢がくれば「自分」も演じる側になります。上手い下手という基準ではなく、舞台に出て演じることが何より、島のためになるというところが、多良間島で育つ一人一人の子どもにとって大切なのではないかと考えられます。

 今回は、その八月踊りの撮影した一部、小学生と中学生の仲筋集落と塩川集落の「女踊り」をご紹介します。多良間の八月踊りはこれからさらに2年間をかけて映像制作する予定です。

文責:藤田ラウンド幸世

参考資料:
多良間まつり実行委員会(2023)『東京多良間郷友会創立90周年記念「多良間まつり」』東京多良間郷友会

制作協力:
森澤圭さん、桃原薫さん、下地賀代子さん

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