物部守屋と蘇我馬子: 対立が生んだ日本史の転機
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 Published On Oct 15, 2024

①物部守屋と蘇我馬子の対立

②丁未の乱と物部氏の衰退

③物部守屋に関する謎 二選

これら3つのテーマについてご紹介します。

6世紀の日本

新しい宗教、仏教が大陸から伝わり、古くからの神道と衝突し始めました。

この時代のリーダーたちは、新しい時代にどう対応するか、重要な決断を迫られていました。

物部守屋と蘇我馬子、二人の大物が運命を決することになるのです。

■物部守屋と蘇我馬子の背景

■ニギハヤヒと物部氏

ニギハヤヒは物部氏の祖先とされる人物です。

先代旧事本紀や神社伝承をたどると、ニギハヤヒこそ九州から東遷したさきがけでした。

神武天皇より先にヤマト入りを果たしていたのがニギハヤヒでした。

さらに、継体天皇の時代には筑紫磐井の乱で、天皇が物部麁鹿火に筑紫より西は物部が制圧し統治するように命じています。

守屋にとって、仏教は外来の脅威であり、国の魂を揺るがすもの。

一方、馬子にとって仏教は、国を豊かにし、未来の安定をもたらす希望でした。

■物部守屋の出自

物部守屋は、古代日本において強力な影響力を持っていた物部氏の出身です。

守屋の父親の尾輿が弓削連の家から娘をもらい守屋が誕生します。

物部守屋は敏達天皇、欽明天皇のときに大連となって仕えていました。

側近としてはナンバーワンです。

■仏教公伝

538年とも552年ともいわれる仏教が日本に伝わります、いわゆる仏教公伝です。

百済の聖明王が釈迦仏の金銅像、幡(はた)と蓋(きぬがさ)を献上してきました。

欽明天皇は国家として仏教を受け入れるかどうか群臣に問うた時、物部尾輿と中臣鎌子らは反対しました。

一方の蘇我稲目は仏教受け入れに賛成したため、天皇は稲目に仏像などを与えました。

■対立激化

欽明天皇が亡くなり敏達天皇が即位します。

天皇は蘇我馬子らが仏殿を造ることは容認しました。

【目次】

00:00 スタート
01:04 ニギハヤヒと物部氏
02:41 物部守屋の出自
03:49 仏教公伝
08:08 丁未の乱
10:24 その後の物部氏
12:37 四天王寺の守屋祠
13:29 生石神社・石の宝殿

日本古代史の謎を紐解き、すこしでも本来の日本建国の姿を再現できればと思い、ご紹介させていただきました

このチャンネルでは、独自の視点から見た歴史、科学について発信しています

この動画は下記の音声読み上げソフト、画像、動画、音楽を使用しています。
・Wikipedia
・Adobe stock
・YouTube オーディオライブラリ
・VOICEPEAK

【参考書籍】
・『日本書紀上下』宇治谷孟 著 講談社学術文庫
・『古事記上中下』次田真幸 著 講談社学術文庫
・『現代語 古事記』竹田恒泰 学研
・『埋もれた巨像』上山春平 著
・『続・神々の体系』上山春平 著 中公新書
・『「女帝」誕生の謎 古代史に見る女性天皇』関裕二 著 講談社
・『聖徳太子と法隆寺の謎』倉西裕子 著 平凡社
・『日本史集中講義』井沢元彦 著 祥伝社黄金文庫
・『聖徳太子』 田村圓澄 著 中公新書
・『夢殿の闇 聖徳太子と消された覇王』 小椋一葉 著 河出書房新社
・『聖徳太子の復権』 崎元正教 著 Amazon Kindle版
・『敗者の古代史』森浩一 著 角川新書

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