名将 中村良隆監督 物語
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 Published On May 28, 2024

長野県内屈指の名将として知られ,「甲子園請負監督」と称された中村良隆氏(76)が,佐々長聖を最後にユニホームを脱いだのは2011年秋。20歳で母校・丸子実(現丸子修学館)を選抜申子園に導いてから半世紀が経っていた。

 高校野球は「教育の一環」とされる。だが,中村の持論は「一環ではない。教育そのものです。野球を通じての人づくり。それを信じてやってきました」。

 1960年の母校卒業時に「実習助手で残るように」といわれ,野球部コーチに。61年に教員資格を得ようと通信制で中央大に入学。8月から新チームを任されると,いきなり秋の北信越大会に進出して優勝。12月生まれで,まだ19歳の若手監督だった。

 夏の甲子園の初陣は23歳の65年。ベスト8に入った。教員採用試験に合格して67年に須坂園芸(現須坂創成)へ移り,強豪校に。70年に中村が母校に復帰すると,その夏,「教え子対決」となった長野大会準決勝で須坂園芸が丸子実を破り,一気に初優勝。88年夏,上田東を初優勝に導いた中村は,全国制覇する広島商に初戦で延長の末に惜敗した。
 
 91年,中村は佐久長聖の前身にあたる私学の佐久に移る。屈指の実力校に育て,94年度には甲子園でベスト4。中村が, 「最も印象深い教え子をあえて1人,挙げるとすると,堀腸秀孝だという。

◆ なかむら・よしたか 1941年,旧東内村(現上田市)生まれ。丸子実(現丸子修学館)卒業の60年に指導者の道へ。丸子実,上田東,佐久・佐久長聖の監督で春夏の甲子園に13回出場し,通算9勝。中央大卒。

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