【東洋のマチュピチュ⁉︎】別子銅山の歴史と今
あきひろば【旅する社会の先生】 あきひろば【旅する社会の先生】
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 Published On Jun 27, 2023

日本三大銅山の一つでもある別子銅山は、江戸時代から採掘が始まり、開坑から一貫して住友による経営が行われてきた銅山です。ここで採掘された銅はさまざまなものを生み出し、また海外にも輸出されていました。

1973年に閉山してからは住宅街や関連施設は深い自然の中にかえりつつありますが、近年はその景観から「東洋のマチュピチュ」とも呼ばれ注目されています。

今回の動画は、山中に眠る別子銅山の産業遺産をめぐりながら、その歴史についてふれています。


※別子銅山の関連スポットへのアクセスについて
別子銅山の関連遺産は【旧別子エリア】【東平エリア】【端出場エリア】に集中しています。

一番気軽にアクセスしやすいのは【端出場エリア】で、マインドピア別子がある辺りです。
別子銅山の歴史としては新しいほうです。動画でも最後の方に出ています。

「東洋のマチュピチュ」と呼ばれる選鉱場・貯鉱庫跡があるのは【東平エリア】で、マインドピア別子からさらに車で30分くらい山の中に入ります。動画内では中盤から後半にかけて出てきます。距離的には大したことありませんが、ラストの5kmはかなり狭い道を進むことになります。すれ違いポイントはありますが、運転には注意が必要です。
マインドピア別子から【東平エリア】へは、ガイド付きの観光バスが運行しているので(有料)、運転が苦手な方などはそちらを利用してもいいかと思います。

【旧別子エリア】は、動画内で最初の方に出ていますが、こちらは登山が必要になります。さまざまな登山口がありますが、旧別子銅山日浦登山口から銅山越を目指すのが一般的なルートです。道中は動画内で出てきた関連施設跡が点在していますので、それらを見ながらゆっくり登って2時間半〜3時間くらいで銅山越までたどり着きます。日浦登山口は、マインドピア別子からさらに山奥へ車で20〜30分くらいの場所にあります。駐車場やトイレも整備されています。

別子銅山の関連遺産は他にも、筏津エリアや新居浜の市街地にも広がっています。


【Instagram】
  / akihiroba  


#別子銅山 #東洋のマチュピチュ #歴史

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