【寺社参詣】#89 金剛寺(大阪府河内長野市/新西国7番/真言宗御室派)~女人高野、南北朝時代の天野行宮・~ Kongoji Temple
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 Published On Feb 10, 2024

神社仏閣巡り「寺社参詣シリーズ」第89回は、大阪府の南部・南河内地方、河内長野市にある、真言宗御室派大本山 天野山金剛寺です。

奈良時代、天平年間(729~749年)に聖武天皇の勅願により、日本ではじめて大僧正の位を授けられた和泉国出身の僧侶・行基によって開かれたお寺です。

平安時代には、弘法大師空海がこの地で修行したと伝えられていますが、その後およそ400年もの間荒廃してしまいました。

平安時代後期。高野山より阿観上人が入り、後白河上皇とその妹の八条女院の篤い帰依と庇護を受け、真如親王筆の弘法大師像を高野山より拝受して御影堂を建立、弘法大師御影供の法要を始めると共に、金堂・多宝塔・楼門・食堂などの伽藍を再興していきました。

この縁から八条女院、後宜秋門院・春華門院母子、嘉陽門院の祈願所となり、さらに女院女房が四代にわたって院主をつとめたことから、多くの女性が金剛寺に帰依。「女人高野」と呼ばれるようになりました。

鎌倉時代の終わりになると、金剛寺は後醍醐天皇の倒幕に味方した武将楠木正成が戦勝祈願を依頼したり、学頭禅恵と後醍醐天皇の腹心であった文観との関係などから、南朝方との結びつきが強くなりました。

南朝の後村上天皇が正平9(1354)年から5年にわたって、摩尼院と食堂を行宮としました。その間に、京都から連れ去られてきた北朝の光厳上皇、光明上皇、崇光上皇、直仁親王が、観蔵院に幽閉されていたことがありました。

後村上天皇の次の長慶天皇も文中2(1378)年から4年あまり、ここを行宮としました。

南北朝が終わると、子院90坊を数えるまでに時勢が拡大。織田信長や豊臣秀吉などの天下人や大名衆などの庇護を受け、幕末まで307石の寺領を有していました。

金剛寺がある河内長野は、戦国時代をはじめ、第二次大戦まで戦火に遭うことがなく、かつての伽藍や堂宇などが残されていましたが、元禄の時代から300年あまり、大きな修理が行われたことがなく、建物に沈下や歪みが生じてしまっていたため、平成21(2009)年から平成29(2017)年にかけて、金堂・多宝塔・鐘楼の大規模な修理(平成大修理)が行われました。同時に金堂に安置されている本尊の大日如来坐像、脇侍の降三世明王坐像、動明王坐像の三尊の仏像も修理され、平成30(2018)年3月に落慶法要が営まれました。

金剛寺は、南河内の山間、和泉山地の北麓に位置しますが、南海高野線・近鉄長野線 河内長野駅からバスで15分少々。また、泉北高速鉄道 光明池駅からのバスの便があるなど、アクセスは良好です。
(車では、西名阪道・藤井寺ICから20kmほど、混雑する国道170号線(大阪外環状道路)を南下する必要があります。)

境内に5つの国宝と29の重要文化財を擁し、日本遺産『中世に出逢えるまち 〜千年にわたり護られてきた中世文化遺産の宝庫〜』の構成文化財のひとつ、新西国三十三箇所第七番札所、真言宗御室派大本山 天野山金剛寺の動画をご覧下さい。


撮影機材:GoPro HERO 12
※今回より、撮影機材がGoPro HERO12に変わりました。

【使用BGM】
「悠久の時へ」(甘茶の音楽工房)
https://amachamusic.chagasi.com/

【Webサイト】
金剛寺公式Webサイト
https://amanosan-kongoji.jp/

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