十返舎一九とたどる「新川開削ものがたり」
加藤功 加藤功
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 Published On Mar 13, 2020

2020年 新川は開削200年を迎えました。
新潟県の西蒲原は、砂丘地の幹線道路沿いに住宅地が連なり、内陸側には農地と農村集落が広がり、全国でも有数の米生産量を誇る、実り豊かな水田地帯となっている。だが200年前までは、西川と中ノ口川に挟まれた低湿地帯で、3年に1度起こると云われる湛水被害(悪水)に悩まされていた。
先人の苦労と2年の歳月、約2万2千両の経費、延べ人数160万人の労力により、文政3年(1820年)1月に堀割は完成し新川と呼ばれるようになった。この工事は、高さ20mの金蔵坂砂丘を人力で掘り、古来の技術(踏み車)を駆使して西川の下に、江戸時代最大級の木製底樋を埋め込むもので、この地に新たな歴史と文化が生まれ、内野は在郷町として発展していった。
当時の流行作家の十返舎一九が内野へ泊り、「滑稽旅がらす」の中で『越後砂山堀割之図』を描き、江戸の人々に越後の大工事を紹介した。西区の宝である「新川」を、更に多くの方々に知っていただくため、十返舎一九が案内人となって200年前から現在に至るまでの新川開削をたどる物語です。

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